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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)11号 判決

原告

野口征男

右訴訟代理人

新井彰

被告

飯島功市郎

右訴訟代理人

安武宗次

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一五〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文第一、二項と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告から、昭和五六年六月一六日、被告所有の茨城県水海道市豊岡町乙二一一四番地所在木造瓦亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅一四棟(以下本件建物という。)を次の約定で賃借した。

使用目的 ホテル

賃料 一か月当り一三〇万円

支払方法 毎月末日限り翌月分前払

期間 一五年間

2(一)  敷金返還請求

右賃貸借契約と同時に、原・被告間で、原告が被告に敷金一五〇〇万円を差し入れる約定をなし、右契約締結日までに右約定に基づき、原告は被告に敷金一五〇〇万円を交付した。

(二)  保証金返還請求

仮に原告が被告に交付した一五〇〇万円が敷金ではなく、借主が契約期間終了以前に解約を申し出た場合それが賃貸借契約成立後一〇年以内であれば全額を、一〇年を越え一五年以内であれが半額を貸主において取得する旨の特約条項の付された保証金であつたとしても、右特約条項は次のとおり借家法の趣旨に反し、暴利行為となり、公序良俗違反であるから無効であり、又は信義則違反、権利濫用として右特約条項に基づく権利行使はできないものであり、右保証金は、敷金と同様、賃貸借契約終了の際に借主に返還する旨の合意がなされていた。

(1) 右保証金は、借主がその都合で賃貸借契約を解約した場合についての制裁金或いは違約罰と解されるところ、その額は賃料の11.5か月分に相当し、不当に高額であり、前記のような特約条項を設けて借主を一〇年ないし一五年の長期に亘り、ホテル営業を目的とする賃貸借契約関係に拘束することは、変動が激しく長期間の将来を予測しがたい社会情勢の下においては、借主に著しく不利益であり、借家法六条の趣旨に反し、個人の営業の自由を長期間制限することにもなり、また、契約期間が長く特約の適用される危険性が大きく、保証金が賃料の11.5倍と高額であり、加えて明渡の四〇日前に解約を告知され、貸主のホテル営業再開に十分な準備期間があつたことから右借主からの中途解約につき貸主に損害の発生がない等の事情のある本件においては、保証金一五〇〇万円は高額に過ぎ、暴利行為に該当し、契約締結の事情や被告の意図を合わせ考えると右特約条項は公序良俗に反し、無効である。

(2) 仮に右特約条項が無効でないとしても、原告は蕨市に焼鳥屋を営んでいたもので、ホテル経営の知識も経験もなかつたところ、本件建物の賃貸借契約締結に際し、昭和五六年一月一〇日、原告が本件建物を現地で検分した際、被告は、自己の一〇年余りの本件建物によるホテル経営の経験から実際は一ケ月の売上が二〇〇万円そこそこであることを熟知していたにも拘らず、原告に対し月平均売上が三〇〇万円ないし四〇〇万円である旨誇大な説明をし、本件契約締結当初から、売上実績に比較し高額な家賃と少なからぬ諸経費の負担から、原告が遠からず解約廃業のやむなきに至ることを見越して保証金をただ取りすることを企て、右売上についての説明を誤信した原告に十分に検討する余裕を与えず契約に調印を求め、前記保証金についての特約をなさせたもので、被告の右行為は取引における相手方の信頼を裏切るものであり、右条項に基づき保証金を没収することは信義則に反し許されず、前述のとおり暴利行為にも該当するから被告がその返還を拒むことは権利の濫用として許されない。

3  原告は被告に対し、昭和五六年一一月二一日送達の内容証明郵便で本件賃貸借契約解約の申し入れをなし、同年一二月三〇日本件建物を明け渡した。

よつて、原告は被告に対し、主位的に敷金として、予備的に保証金として被告に交付した金一五〇〇万円とこれに対する訴状送達の翌日である昭和五七年一月二一日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張〈以下、省略〉

理由

一請求原因1及び原告が昭和五六年一二月三〇日ごろ本件建物を明け渡したことは当事者間に争いがない。

二請求原因2(一)の事実のうち、被告が本件賃貸借契約締結に際し、原告から一五〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがない。

原告はいわゆる敷金として右金員を交付したものと主張し、この点についての被告の自白の撤回に異議があると述べたが、被告は、第一回口頭弁論期日において、請求原因事実を認めると述べたものの、同時に借主が一〇年以内に賃貸借契約の解約申出をしたときは右金員は没収される旨の特約があつたと主張しているものであつて、全体としてみると、一五〇〇万円を受領した点のみの自白にとどまり、原告主張のいわゆる敷金として右金員を受領した事実を認めたものとはいいがたく、この点の自白があつたと認めるものは相当でない。

そこで、右一五〇〇万円がいわゆる敷金として交付されたものかどうかにつき判断する。

〈証拠〉を総合すると、本件賃貸借契約は当初からホテル営業目的の居抜きのままの建物の賃貸借であつて、保証金二〇〇〇万円を支払う条件で契約締結の交渉が始まつていること、昭和五六年一月二三日に原被告間で成立した合意に基づき作成された賃貸借契約書(乙第三号証)の中の敷金という不動文字の一部を、仲介をし借主の連帯保証人ともなつた不動産業者高橋利治が保証金と訂正し、その際契約期間中の保証金は無利子とする、契約の証として保証金の一部として手付金三〇〇万円を支払う等の特約も加入されたこと、その後当事者双方の都合により条件を変更して同年六月一六日に締結された賃貸借契約において、保証金は一五〇〇万円とする旨の合意がなされ、同時に特約条項として契約の期限以前に借主が解約を申し出たときは、一〇年以内の場合は保証金は没収、一五年以内の場合は半額を返金する旨の合意がなされたこと、その際原告は貸主が期限以前に解約を申し出たときは三倍返しすべきことを提案し、被告も了承してその旨の合意がなされたこと、以上の特約を原告側の立会人として出席していた高橋聰が契約書(乙第一号証の一)と一体をなすものとして、書面にして別紙を作成し、右契約書に原告、被告が署名押印し、借主の連帯保証人として右高橋が高橋利治の署名を代行したことが認められ、右認定に反する証人高橋聰の証言部分及び原告本人の供述部分は措信しがたい。

原告は、特約条項の没収の点については納得していなかつたので押印しなかつた旨供述するが、右供述部分も右認定に照らし措信できない。

右の事実によれば、被告の受領した一五〇〇万円は、契約後一〇年以内に借主が自己の都合で解約を申し出て賃貸借契約を終了させる場合には没収される旨の特約の付された、ホテルの営業を目的とした居抜きのままの建物の賃貸借についての保証金であつて、原告主張の通常の賃貸借におけるいわゆる敷金ではないと認めるのが相当である。従つて、原告の請求原因2(一)の主張は理由がない。

三そこで保証金没収の特約の効力につき判断する。

〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1  被告は、妻と共に従業員二人位を雇つて約一一年間ホテル業を経営していたが、右ホテルをいわゆるラブホテル、モーテルであり、子供の生活環境として良くないこと、他にも事業をしていて忙しいことなどから、千葉県松戸に転居して、自己所有の約一三〇〇坪の敷地(ホテル増築予定の約一〇〇〇坪の空地が隣接している。)に建築した、一棟一部屋の車庫、バス、トイレ付ホテル一四棟(本件建物)と管理人室一棟、住居一棟を居抜きのまま賃貸してホテル業を他に一時譲渡することを考え、不動産業を営んでいた高権利治に、保証金二〇〇〇万円。家賃一か月一五〇万円、ホテル営業目的で本件建物他二棟合計一六棟を賃貸する意思があることを話し、同人からその話を聞いた同人の弟高橋聰は、原告に対し、ホテル業をやつてみないかと勧め、右条件等につき説明し、一か月三〇〇万円から四〇〇万円の売上がある旨述べた。

2  原告は昭和五六年一月一〇日、被告のホテルの営業設備など現地を検分したが、その際ホテル内に入り、日々の売上を記載した被告の帳簿を見、被告及びその妻から月平均二七〇万円から三〇〇万円位の売上がある旨の説明を受け、同月二三日、原被告間において、同年四月一日から一五年間ホテル業を目的として本件建物を含む一六棟を右約定で賃貸する旨の合意が成立し、賃貸借契約書(乙第三号証)が作成された。

右契約書には特約として本契約締結後三年以内に増築することという文言も加入された。

3  その後、被告の子供の転校が昭和五七年三月にならないとできないことが判明し、原告も当時蕨市で営業していた焼鳥屋を、不慣れな従業員に任せることができない状態であつたため、昭和五六年四月一日から営業を始めることは困難となり、同年六月一六日、賃貸借の期間を同年六月二〇日からとし、賃貸建物は本件建物(一四棟)、家賃は一三〇万円、保証金は一五〇〇万円と変更し、特約条項として、被告が住居を明け渡した場合は原告は被告に保証金五〇〇万円を追加して即時支払い、家賃は二〇万円を追加して一か月一五〇万円とする旨合意し、同時に保証金について前記認定のとおり、全額又は半額没収される場合があること、三倍返しの特約も合意された。その際保証金一五〇〇万円は一五年の契約期間を満了すると無利子ではあるが債務不履行による損害額を控除して返還する旨の合意がなされており、別にいわゆる権利金の授受の合意はなされていない。

4  被告は、それまでホテル千姫という名称で営業し、一か月の売上が昭和五五年一二月ころには二五七万円位、昭和五六年三月ころには二六〇万円位、同年五月は二七五万円余りであつた。

5  原告は、同年六月二〇日、本件建物及び管理人室一棟の引渡を受けて営業をはじめ、同年一〇月末ごろに高橋聰が辞めるまでは同人と一日交替に管理人室に寝泊りして営業にあたり、右高橋の妻がこれを手伝い、従業員一、二名が営業に従事した。原告は同年七月一九日、強盗に入られた後はホテル名をエリザベスと改め、同月末ごろからは、宿泊料等を一律一〇〇〇円値上げしたが、一か月の売上は同月二一八万円位、同年八月二七〇万円位、同年九月から同年一二月までは二〇八万円位から二一四万円位までにとどまつたため、採算があわないと判断して同年一一月二〇日ごろ解約を申し入れたが、その際保証金の返還をしてくれなければ明渡さない旨述べた。しかし、被告がこれに応じないので、結局同年一二月末ごろには本件建物を明渡した(この点については当事者間に争いがない。)が同年一一月分及び一二月分の家賃合計二六〇万円は支払わないままで現在に至つている。

6  被告は本件建物及び管理人室の引渡を受けた後、庭の草取り、清掃をしたり、テレビ、コタツの調整、修理などをし、ホテル名を千姫にもどし、宿泊料を値下げして営業を再開したが、昭和五七年五月ごろ一か月一九六万円位の売上をあげるに至る程度であつた。

以上の事実を認めることができ、〈反証排斥略〉。

右事実及び前記認定事実を総合すると、本件保証金にはホテル営業目的の賃貸借契約に基づく債務不履行による損害を担保する性質の他、賃貸借の設定により借主が享受すべき建物の場所、営業設備等の有形無形の利益に対して支払われる対価の性質、中途解約により当事者が受くべき損害の賠償額の予定の性質等を含んでいるもので、単なる制裁金ではないと認めるのが相当であつて、その額は家賃の11.5か月分に相当するものであるが、被告は自己所有の約一三〇〇坪の敷地に建築した、一棟が一部屋となつている車庫、バス、トイレ付のホテル一四棟と管理人室一棟の合計一五棟を居抜きのままで原告に賃貸したもので、原告は賃貸借契約期間の開始した昭和五六年六月二〇日からすぐに営業を開始して収入をあげることができる状態であつたこと、保証金一五〇〇万円は一五年の契約期間が満了すると無利子ではあるが債務不履行による損害額を控除して返還する旨の合意がなされていることなどの賃貸借契約の内容、三倍返しの特約が存することなど諸般の事情を総合すると、一五〇〇万円の保証金が不当に高額であるとまでは認定できず、他に前記特約条項が借主に一方的な著しく不利益であると認めるに足りる証拠はない。

また、右に認定のとおりの本件特約条項を付した賃貸借契約締結に至る事情をも総合すると、原告は自己の計算で利を図つて、営業を一〇年ないし一五年間継続しなければ保証金の全部又は半額を没収される拘束のある特約を付した契約を自由な意思に基づいて締結したものと認めるのが相当であつて、前記特約条項をもつて、営業の自由を制限するが故に公序良俗に違反するとまでは認めがたい。

原告は本件特約条項は暴利行為であるから無効であると主張するが、契約期間、保証金の額についての判断は右のとおりであつて、期間が長く、保証金が高額であることのみによつて本件特約条項が暴利行為であつて無効であるとまでは言えず、また、原告は、本件においては、営業再開に十分な準備期間があつたから貸主に損害の発生がない等の事情がある旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はなく、かえつて、右認定事実によれば被告に相当の損害があつたことが推認でき、保証金の没収が暴利行為であるとまでは認めがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。原告は、原告が契約後間もなく解約廃業のやむなきに至ることを見越して、被告は保証金をただ取りすることを企てて特約を締結させたと主張するがこれを認めるに足りる証拠もない。

右のとおりであつて、本件においては、本件特約条項が公序良俗に違反したものであると認めることはできない。

四権利濫用(信義則違反等)について

前記二、三で認定した事実を総合すると、本件賃貸借前に被告が本件建物によるホテル業で得ていた一か月の売上は良い時でも二七五万円余りであつたところ、被告らは原告に対し、二七〇万円から三〇〇万円位の売上がある旨説明したこと、保証金没収の特約事項自体は契約成立当日に提案されたものであることは認められるが、一方、原告は高橋聰に勧められ、同人をつかつてホテル業で利益をあげようと考え、原告自身が現地において営業施設を検分し、被告の帳簿を確認のうえ、営業を開始することを決め、約六か月後に本件賃貸借契約締結日には、原告は、保証金三倍返しの条項を被告に承諾させて本件特約条項の付された賃貸借契約を締結するに至つたものであることなども認められ、右に認定した本件特約条項が付された賃貸借契約の締結に至る事情からみて前記事実をもつて、取引における相手方の信頼を裏切つて特約条項を締結させたとまでは認めがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

原告は、被告が実際の一か月の売上が二〇〇万円そこそこであることを熟知していたのに、原告に対し売上を三〇〇万円から四〇〇万円位あると説明したと主張し、これに沿う原告本人の供述部分、証人高橋聰の証言部分があるが、右認定に照らし採用できない。

また、暴利行為についての判断も前記三のとおりであつて、これを理由に保証金の返還を拒絶することは権利の濫用であるとの主張も採用できない。

従つて権利濫用の主張も理由がない。

五以上のとおりであつて、その余の点につき判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(野崎惟子)

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